森覚氏がつかんだ確かな手応え、ボルドーで再挑戦へ(前篇)
- 2016/05/05
- 00:59
アルゼンチンで開かれた世界最優秀ソムリエコンクールで、日本代表として出場した森覚氏は8位だった。決勝には残れなかったが、確かな手ごたえをつかんだ。3年後のボルドー大会に再挑戦する。心境を聞いた。
メンドーサで行われた大会では、森氏とアジア・オセアニア代表の石田博氏を含む15人が準決勝に進出した。森氏が期待していたのは8位より上の順位だった。

「4位から6位まではおそらく団子状態。その中に入りたかった。ブラインド・テイスティングはよくできた感触があった。2位のダヴィッド・ビロー(フランス)の取り巻きも、いいコメントだと言ってくれた。筆記も1問を除いて埋められた」と悔しさをにじませる。現状に満足しない勝負師である。
今回のコンクールで勝敗を分けたのは、筆記試験だった。上位の3人は準々決勝での筆記が満点に近かった。50%の得点を準決勝に持ち越せるから有利だった。サービスやテイスティングは、問題が細分化されており、大きな点差がつきにくい。
「筆記は範囲が広くて、細かい。ナパとソノマのすべてのAVAの場所と名前、ハンガリーの14の生産地区をすべて書けというような問題が出て、フランスはほとんどなかった。お茶やコーヒーも出た。東京大会の反省から、そうした細かい問題が出たらラッキーというつもりで備えていたが、3人はラッキーではなく、それらすべてを完ぺきに答えられる体制だったのでしょう」
従来と傾向が変わった。準決勝のサービスでは、大人数のゲストのさばき方などが問われる一方で、デキャンターを使う問題はなし。決勝はオーソドックスな設問だった。田崎真也・国際ソムリエ協会会長は「現在のソムリエに求められるものを問う問題を出すから、設問は当然変わる」と語る。定型的なサービスができるのは当たり前で、智恵や経験を生かした総合力が問われたと言えそうだ。

森氏は2013年の東京大会はホテル・ニューオータニの「トゥール・ダルジャン東京」から出場した。その後、「コンラッド東京」(東京・新橋)にヘッドハンティングされ、ヘッドソムリエとなった。転職したのは、そのままでは世界で戦えないと考えたから。トゥール・ダルジャンは、フランスワインしかサービスせず、英語を使う機会も少ない。コンラッドに移る際、世界大会に出場する時は1か月の休暇をとるという条件を契約に盛り込んだ。
「結局、2月20日から2か月間も休暇がとれた。総支配人、副支配人と直接やりとりして、有給休暇を集中させる計画を練ってくれ、大会中は出勤扱いにしてくれた。期待していた以上の待遇に恵まれた。大会直前、アルゼンチンに向かう経由地シドニーの系列ヒルトンホテルに泊まり、直前の準備もできました」
ホテル側もプロモーシヨン効果を計算したのだろう。森氏もこの2年間で結果を出してきた。ホテルでのイベントが増え、ワインの売り上げは倍近くなった。戦える環境を作る段階から、コンクールは始まっているのだ。
グローバル・チェーンの傘下にある職場が、語学力やサービスに磨きをかけるのに役だった。
「フレンチ、中華、和食のすべてを統括するから、ワインリストにもグローバルな感覚が必要となる。宴席を誘致するプレゼンも行い、視野が広がった。お客様の7割は海外から来る。会議もメールも、英語で対応する。最初はメール読むのもひと苦労で、帰国子女の妻にたずねたり……1年ぐらいたつと『最近は何も聞いてこないね』と言われるようになりました」
唯一の誤算は、勤務時間の長さだった。朝は子どもを幼稚園に連れて行き、10時前に出勤して、夜の11時まで。勉強する時間がなかなかとれなかった。
続き(後編)はこちらで
メンドーサで行われた大会では、森氏とアジア・オセアニア代表の石田博氏を含む15人が準決勝に進出した。森氏が期待していたのは8位より上の順位だった。

「4位から6位まではおそらく団子状態。その中に入りたかった。ブラインド・テイスティングはよくできた感触があった。2位のダヴィッド・ビロー(フランス)の取り巻きも、いいコメントだと言ってくれた。筆記も1問を除いて埋められた」と悔しさをにじませる。現状に満足しない勝負師である。
今回のコンクールで勝敗を分けたのは、筆記試験だった。上位の3人は準々決勝での筆記が満点に近かった。50%の得点を準決勝に持ち越せるから有利だった。サービスやテイスティングは、問題が細分化されており、大きな点差がつきにくい。
「筆記は範囲が広くて、細かい。ナパとソノマのすべてのAVAの場所と名前、ハンガリーの14の生産地区をすべて書けというような問題が出て、フランスはほとんどなかった。お茶やコーヒーも出た。東京大会の反省から、そうした細かい問題が出たらラッキーというつもりで備えていたが、3人はラッキーではなく、それらすべてを完ぺきに答えられる体制だったのでしょう」
従来と傾向が変わった。準決勝のサービスでは、大人数のゲストのさばき方などが問われる一方で、デキャンターを使う問題はなし。決勝はオーソドックスな設問だった。田崎真也・国際ソムリエ協会会長は「現在のソムリエに求められるものを問う問題を出すから、設問は当然変わる」と語る。定型的なサービスができるのは当たり前で、智恵や経験を生かした総合力が問われたと言えそうだ。

森氏は2013年の東京大会はホテル・ニューオータニの「トゥール・ダルジャン東京」から出場した。その後、「コンラッド東京」(東京・新橋)にヘッドハンティングされ、ヘッドソムリエとなった。転職したのは、そのままでは世界で戦えないと考えたから。トゥール・ダルジャンは、フランスワインしかサービスせず、英語を使う機会も少ない。コンラッドに移る際、世界大会に出場する時は1か月の休暇をとるという条件を契約に盛り込んだ。
「結局、2月20日から2か月間も休暇がとれた。総支配人、副支配人と直接やりとりして、有給休暇を集中させる計画を練ってくれ、大会中は出勤扱いにしてくれた。期待していた以上の待遇に恵まれた。大会直前、アルゼンチンに向かう経由地シドニーの系列ヒルトンホテルに泊まり、直前の準備もできました」
ホテル側もプロモーシヨン効果を計算したのだろう。森氏もこの2年間で結果を出してきた。ホテルでのイベントが増え、ワインの売り上げは倍近くなった。戦える環境を作る段階から、コンクールは始まっているのだ。
グローバル・チェーンの傘下にある職場が、語学力やサービスに磨きをかけるのに役だった。
「フレンチ、中華、和食のすべてを統括するから、ワインリストにもグローバルな感覚が必要となる。宴席を誘致するプレゼンも行い、視野が広がった。お客様の7割は海外から来る。会議もメールも、英語で対応する。最初はメール読むのもひと苦労で、帰国子女の妻にたずねたり……1年ぐらいたつと『最近は何も聞いてこないね』と言われるようになりました」
唯一の誤算は、勤務時間の長さだった。朝は子どもを幼稚園に連れて行き、10時前に出勤して、夜の11時まで。勉強する時間がなかなかとれなかった。
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