白ワインの法王、ドゥニ・デュブルデュー教授が死去
- 2016/07/27
- 00:47
白ワインの専門家で、教育者、コンサルタントとしても活躍したボルドー大のドゥニ・デュブルデュー教授が亡くなった。67歳だった。脳腫瘍と闘っていた。

デュブルデューは1949年、バルサックで生まれ、祖父が1924年に購入したシャトー・ドワジ・デーヌで育った。1978年、貴腐ブドウの分子構造の研究でボルドー大で博士号を取得し、87年に醸造学の教授に任命された。熟成前酸化、未熟なブドウの青い香りの起源、ブレタノマイセスの対処、貴腐ワインの分子構造など数々の研究を行い、2009年にはボルドー大学のワイン醸造科学研究所設立に尽力した。大勢の生徒を育て、「ボルドーの教授」と呼ばれた。
76年に結婚した妻のフローレンスが相続したシャトー・レイノンに本拠を置いて暮らし、バルサックのカントグリル、グラーヴのクロ・フロリデーヌとオーラで息子のファブリス、ジャン・ジャックとともにワインを生産し、2000年には存命中の父ピエールからドワジ・デーヌを引き継いだ。

1960年代のボルドーでは、赤ワイン用品種より白ワイン品種が植えられていたが、栽培適地を間違えていたことから、白ワインの品質向上に努力した。スキンコンタクト、温度管理できるステンレスタンク、樽熟成などの醸造手法を導入し、ボルドーの白ワインを現代化した。その影響は世界におよび、「白ワインの法王」と呼ばれた。
87年からコンサルタントを始め、ミシェル・ロラン、ステファン・デュルノンクール、エリック・ボワスノと並んで、ボルドーで最も影響力の大きいコンサルタントの1人だった。イケム、シュヴァル・ブラン、マルゴーのパヴィヨン・ブラン・デュ・マルゴー、オー・バイィなど有名シャトーのほか、イタリアのフェウディ・ディ・サン・グレゴリオ、南アフリカの4Gなど、世界的なコンサルタントとして活躍した。ロワールの故ディディエ・ダギュノー、ルイ・ジャドのジャック・ラルディエールら、幅広い交遊を誇った。
シャトー・メルシャンの甲州きいろ香を考案した故・富永敬俊博士の指導教官として、甲州の醸造も進化させた。富士山ワイナリーのシゼン・キュヴェ・ドゥニ・デュブルデューのコンサルタントとして、何度も来日した。デカンター2016年のマン・オブ・ジ・イヤーに選ばれ、6月にコンサルタントを務めるシャトー・オー・バイィで受賞パーティが開かれたばかり。レジオンドヌール勲章を叙勲した。体調を崩していたが、4月に開かれたボルドー2015プリムールのパーティには、シャトー・ラ・ラギューヌ・オーナーで弟子のカロリーヌ・フレイとともに顔を見せた。
口を開けば、ロジカルで、ほれぼれする語り口。世界をリードする生産者、教育家、研究者、コンサルタントなのに、少しも偉そうなところがなかった。気さくな性格で、どんな質問にもユーモアをまじえて丁寧に答えてくれた。ワインのろ過(フィルター)について質問した際、「ろ過せずにワインを詰めるのは、レーダーなしで旅客機を空港に着陸させるようなもの」と、研究者らしい慎重な答えをしたのをよく覚えている。
ワイン・サーチャーが2013年に行ったインタビューでは、「どこに埋めてほしいか」という質問に対して、「私の愛する人々の記憶の中に」と答えていた。

デュブルデューは1949年、バルサックで生まれ、祖父が1924年に購入したシャトー・ドワジ・デーヌで育った。1978年、貴腐ブドウの分子構造の研究でボルドー大で博士号を取得し、87年に醸造学の教授に任命された。熟成前酸化、未熟なブドウの青い香りの起源、ブレタノマイセスの対処、貴腐ワインの分子構造など数々の研究を行い、2009年にはボルドー大学のワイン醸造科学研究所設立に尽力した。大勢の生徒を育て、「ボルドーの教授」と呼ばれた。
76年に結婚した妻のフローレンスが相続したシャトー・レイノンに本拠を置いて暮らし、バルサックのカントグリル、グラーヴのクロ・フロリデーヌとオーラで息子のファブリス、ジャン・ジャックとともにワインを生産し、2000年には存命中の父ピエールからドワジ・デーヌを引き継いだ。

1960年代のボルドーでは、赤ワイン用品種より白ワイン品種が植えられていたが、栽培適地を間違えていたことから、白ワインの品質向上に努力した。スキンコンタクト、温度管理できるステンレスタンク、樽熟成などの醸造手法を導入し、ボルドーの白ワインを現代化した。その影響は世界におよび、「白ワインの法王」と呼ばれた。
87年からコンサルタントを始め、ミシェル・ロラン、ステファン・デュルノンクール、エリック・ボワスノと並んで、ボルドーで最も影響力の大きいコンサルタントの1人だった。イケム、シュヴァル・ブラン、マルゴーのパヴィヨン・ブラン・デュ・マルゴー、オー・バイィなど有名シャトーのほか、イタリアのフェウディ・ディ・サン・グレゴリオ、南アフリカの4Gなど、世界的なコンサルタントとして活躍した。ロワールの故ディディエ・ダギュノー、ルイ・ジャドのジャック・ラルディエールら、幅広い交遊を誇った。
シャトー・メルシャンの甲州きいろ香を考案した故・富永敬俊博士の指導教官として、甲州の醸造も進化させた。富士山ワイナリーのシゼン・キュヴェ・ドゥニ・デュブルデューのコンサルタントとして、何度も来日した。デカンター2016年のマン・オブ・ジ・イヤーに選ばれ、6月にコンサルタントを務めるシャトー・オー・バイィで受賞パーティが開かれたばかり。レジオンドヌール勲章を叙勲した。体調を崩していたが、4月に開かれたボルドー2015プリムールのパーティには、シャトー・ラ・ラギューヌ・オーナーで弟子のカロリーヌ・フレイとともに顔を見せた。
口を開けば、ロジカルで、ほれぼれする語り口。世界をリードする生産者、教育家、研究者、コンサルタントなのに、少しも偉そうなところがなかった。気さくな性格で、どんな質問にもユーモアをまじえて丁寧に答えてくれた。ワインのろ過(フィルター)について質問した際、「ろ過せずにワインを詰めるのは、レーダーなしで旅客機を空港に着陸させるようなもの」と、研究者らしい慎重な答えをしたのをよく覚えている。
ワイン・サーチャーが2013年に行ったインタビューでは、「どこに埋めてほしいか」という質問に対して、「私の愛する人々の記憶の中に」と答えていた。
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